中里斉展−20年の歩み
1987年7月25日~8月30日
「カラー フィールド ペインターとしての経歴、版画家としての専門的知識や技術、そしてさらに工業会社の通訳のような過去の仕事などは、論理や構成の力強さと美しさに気付かせてくれたが、それらは全て彼の最近の作品に凝縮されている。あくまでも美学的に、しかし視覚的要素のみでなく彼の仕事に刺激を与える概念的なものに重点を置いて取り組んでいる。しかし同時に彼は、概念への極端な依存は不毛を生み出しかねないことをよく認識しているので、不合理、チャンス、非論理性、画面に対する挑戦といったものが思いもよらない新たな展開をもたらしてくれることを期待しているのだ。その結果として頭脳的かつ魅惑的な両者を併せ持った作品が制作されるに至ったのである。」
ジェラルド・シルク、美術評論家
「中里に一貫しているのは色面の分割による一種のグリッド システムである。だがそれを単なる抽象構成やパターンのヴァリエーションにすぎぬものと峻別しているのは、色彩そのものを主題として維持しようとする作者の強靭な姿勢であった。もちろん彼をいわゆるカラリストと見なすことはできない。楽観的な色彩の饗宴ではなく、むしろ主知的に観念としての色彩に“受肉”させることを目論むものである。色面の大きさ、そして色と色との関係は、絵面での調和としてではなく、潜在的なグリッドによって制御され、つねにある微妙な緊張をはらんでいる。…… 」
建畠 哲、美術評論家
中里斉展へのエッセイ
本展では、中里斉が過去20年間に手掛けてきた絵画、版画、ドローイングの代表作に加えて最新作も紹介されるが、中でも主要な部分を占める最新作が何といっても圧巻であろう。最近の彼の仕事を見ると、まさに今、絶好の転換期に差掛からんとしていることに気付く。彼の以前の仕事にも実は潜在的に存在していた観念が最新作では顕在化してくると同時に現在美術における様々な発展形態、例えばカラー フィールド ペインティング、システミック アート、コンセプチュアリスムなどの相互間にうかがわれる興味深い関係をここで示唆している。従ってこれらの観念は中里の最新作を詳細に分析、論証することによって、更に良く理解できるであろう。
最新作は複数の -最も多く見られるのは3つ組だが、-カンバスが物理的にあるいは概念的にも連結され、一個の完全な作品を形成している。その集合体の構造が最も興味をそそられる特徴と言える。大抵同様のサイズで多少大きめなカンバスが、”ディプティック”という同様の作品タイトルをもち一個の作品を構成すべく2連画として隣り合って並んでいる。これらの”ディプティック”は中里が大きな本体のための”コンパニオン ピース”と称している3番目の小さめのカンバスを伴っている。”コンパニオン”は、本体に隣接して展示され、両者の間は独立して設置されてはいるものの、概念上は互いに関わりを持っている。
これらの小型カンバスは、特殊でさまざまな役割を演じている。ほぼ正方形とおぼしき”コンパニオン”は、時として下絵のようにとらえられる。小さめのサイズ、整理されたあまり変調の無い表現、そしてこれから何か記されるのを待つ白紙や黒板同様の役割を果たすくすんだ灰色の地、文字それ自体、その文字に関連した線による平面図形、そしてこすり消されてはまた書き直された痕跡等の故であろう。上記のようにコンパニオンは平面図形を形成している線と手書き文字で構成されている。文字、例えば”One Fourth and One Fourth”(4分の1、さらに4分の1)、”Sixteen Squares”(16の四角形)、あるいは”A Thing, Refinement, or Three Boxes”(もの、精錬、あるいは3つの箱)といったものだが、それらは作品のタイトルでもあり、と同時に作家がそれぞれの仕事において何を試みようとしているのか、その指示を暗示するものでもある。例えばOne Fourth and One Fourthの場合、線がカンバスを4等分し、その分割された4分の1の内部をさらに4等分している。ここに見られる線は文字で示されたアイディアを、我々の視覚に映る図形に替えて論証している。
中里は、コンパニオンをもって、作品の基礎をなす観念について、時としてうるさいまでの概念主義的論証を試みてはいるものの、同時に抽象表現主義者がそうであったように、制作過程において偶発的な何ものかが展開するよう期待している。コンパニオンは、この両者を密接に結び付ける役割を課せられ、図表的かつ教訓的であるそれは、文字が線がこすり消され、そしてまた書かれたり、描き直されていることにより、さらに効果を高めている。加えて、これらの啓示、観念、そして指示は、大型カンバスへ連結しているように見受けられる。コンパニオンは観客が、集合体全体に内在する論理の特徴をつかめるよう手助けをする。大型の本体には、文字は出現しない、しばしば隣接した小型のコンパニオンが明示している指示と対応しているかもしれない、あるいはしないかもしれない線が現われる。徹底して色彩を提示し、そして色の多彩な組み合わせが画面上で展開されている。下絵としてではなく目的因の絵画として、そしてそれが文字や線で表現されていないのにもかかわらず、その知的内容を我々にわからしめる。これが大型作品を定義づける特徴的な性格と言えよう。
従って我々は大型の本体を幾何学的あるいは言語学的な干渉も受けずに、純粋な絵画として眺める。しかも、この本体をも方向づける指示が文字と図形で明示されているコンパニオンを付随しているので、我々はより確かにより深くそれらの作品の本質に肉迫することができる。大型カンバスは、しかしながらコンパニオンにおいて厳正かつ明快に説明されているアイディアの結末でもなければ、ましてやそれに従属する奴隷的存在でもない。それらは互いにある程度の独立性を維持している。ドローイングやスケッチではなく絵画と提携させてしかも両者が自律性を主張しあうという際立った特徴を備えているが、この既成概念への挑戦はともすればひどく独断的かつ無味乾燥な作品に仕上がりかねない制作の過程に歓迎すべき非合理性をもたらした。
この作品がどのように働くか検討することにより、これらのこれまでに例をみない集合体について、いくらか論証してみよう。
例えば、コンパニオン ピース、One Fourth and One Fourth。ここでは、比較的明快にその指示が提示されている。灰色の下地で塗り込められたOne Fourth and One Fourthはそのタイトル通り、線で4つの象限に分割されている。そして、いくつかの区画は、さらに4分の1に再分割されている。この手のやり方は、ソル ルウィットの仕事にしばしばうかがえるのだが、これらの指示は極限にまで推し進めることができる。再分割は無限に続行できるし、あるいはどの時点でも中断可能だ。従って、この指令による規則は作家の任意に委ねられている。One Fourth and One Fourthは、作品タイトルであると同時に、この作品の方向づけをする決定要因という役割も持つ。この作品では、文字と図形が同価値のものとして配置され、最も効果的な一個の象限に文字が描かれている。
One Fourth and One Fourthを伴う二つの本体は、ディプティックとしてコンパニオンのそれとは異なるタイトルを共有し、一つの作品としての役割を果たしている。コンパニオン ピースの指示により、意味が拘束されるように思われるのも、ディプティックにみられる特性の一つである。そして若干は、それらの拘束を受け入れているが、時に無視しているようだ。大型の本体には、冴えわたる色、人目を引くブラッシュストロークがみとめられる。これらはコンパニオンには全くみられない、あるいは有っても極く稀である。
La Managua Consignaと題された大きな作品については、簡単にその意味を考察してみよう。この作品は、並べて置かれた2枚のカンバスで構成されている。左側のカンバスは、コンパニオン、One Fourth and One Fourthと、視覚的にも概念的にも、より密接に結び付いているようだ。左半面は、大部分がコンパニオンの地色を引き継いだ鈍いグレーで、またこすり消されたような不鮮明な汚れがみとめられる。さらに、4個の長方形に代表される幾何学性が、そして4という個数がOne Fourth and One Fourthの指示を思わさせる。しかし、これらの長方形は自らの4分の1とは考えられないでもないが、それ以外の何かの4分の1であるかは明確にされていない。
左半面はこのように番外のスケッチとして作用するコンパニオンの理論に従う一方で、完成された大型絵画の片方として、それ自身がもつ独立性を主張すると共に、そのどちらともとれる中間の立場をも貫いている。もちろん指示One Fourth and One Fourthの理論のみによってこの作品の自律性が成り立っているわけではない。例えば、真っ先に目に飛び込んでくる黄色い枠組みの長方形、左縁に絡みつく一片の細長い赤、そして上部の完全に一線を画した色の帯など、左画面に登場するさまざまな要素は、相対的には堅い感じを受けるが、表情に富んだ絵画に仕上げている。ここでは色彩ブラッシュストローク、平面性そしてカンバスのエッジや色同士が出会う際などが非常に重要な問題になっている。中里は、色面の境界を極めて慎重に探りだす。図形-場の関係のどんな意義をも否定するように、そしてどの色も重なってみえないように…。その結果色面が絡み合い、両側から引っ張られたような平らな画面が出来上がる。
左画面に微妙にあるいはおそるおそる取り入れられたこれらの要素は、右の画面においては堂々たる伴奏者の役割を担っている。右画面では “4分の1″ という概念は、その表舞台を色彩に譲り、一瞬目を奪われるようなあでやかな色彩の4個の色面が前面に表出されている。長方形はアウトラインではなく色で構成され、さらにもうひとつ、色面の境界を直線で区切らず、ブラシの跡を互いの領域まで軽く立入らせて色と色をもつれ合わせている。
色彩もまた左側のそれと大部分が一致する。左側で長方形の輪郭を描いた黄色は、ここでは黄色それ自体となり長方形の1区画を占領している、まるで長方形の四辺がそれら自体で内部を埋めつくしてしまおうとにじみ出てきたように。左端の細長い赤が右画面の最も広範囲を占めている色として中央舞台を握っている。あたかも左半面では灰色の幾何学的理論の内に幽閉されていたこの色が束縛を逃れ、右側画面上で勢力を強奪し、その解放を勝ち取ったかの如くに。もしこの色が、あのアンリ マチスの “The Red Studio” を思い起こさせるとしたらそれは中里の色彩がもつ意義、あるいは色調がマチスのそれと非常に近似しているからのみでなく、マチスの赤が持つ快楽的かつ開放的な、また乱飲乱舞な性質を彼も持ちあわせているからである。
加えて中里は視覚的要素(マチスは多くの場合補色であった)を関連づけた典型的なマチス風の悪戯を作品に採り入れている。そこから生じる色同士の対話が本体を横切り、作品全体を活性化している。La Managua Consignaを例にとり中里の取りかかり方を見てみよう。ここでは対極に置かれている僅かな色がそこを起点として反対画面に及び、画面上の相当な範囲に広がるように押し出されている。例えば、左縁の赤銀色は、右画面の赤と対をなしている。右側の赤はその画面の大部分を占める主要なかたまりとしてくっきりと浮かび上がり、さらに広がらんとする勢いを持つ。左の画面との接合部分で唐突に止ってはいるが、この二つの赤は、画面上で最も概念的でなおかつ、僅かに長方形の輪郭のみが描かれた最も視覚的要素の少ない灰色の領域を横切り、刺激的な色と色の対話を繰り広げている。さらに一つ例をあげると、右半面の大きな赤い領域を分割するように右端から底辺まで駆け抜ける対角線が描かれているが、これによって右画面にも幾何学性が生じ、左画面を支配している線による平面図面と呼応しあう。
興味深いことに、この対角線は、何かの断片のような面持ちで登場しており、また右画面の右端と底辺中央部の間を行き来しているようにも見える。ここに実際に見える対角線が、実は潜在する4個の対角線、すなわちそれを引くと中央部分に出現するであろう菱形と各コーナーに出来る三角形の境界線となる4本の内の1本であるとも考えられる。であれば、右画面もまた、コンパニオン ピースと概念上関わりあっているといえよう。更に付け加えれば、四個の三角形も例えば並べかえて一緒に重ねたとしたら全く同様の形と面積をもつであろう。従って、左画面は、右画面よりも離れているコンパニオン ピースと視覚的にも概念的にも近似しているように思われるが、こうして考察を進めてくると、右画面もまたコンパニオン ピースと密接な繋りを持っていることが明確となる。全体として3枚のカンバスからなる2点の作品は、互いに絶えることのない交わりを続けているといえる。フーガ曲においては主旋律と呈示部は交互に提示され、繰り返され、部分的に修正され、時に交わり時に独立したタンジェントや、間奏部を追いかける。中里が生み出したこの二点組の作品相互の関連性は、例えて言うなればこのフーガ曲の対位法のようなものであろう。(そして興味深いことにフーガは時として “形式” というよりも “方法” として評価されており、それゆえに中里のアプローチと結び付くのである)
もちろんコンパニオン ピースと大型絵画はそれぞれのタイトルを持ち、最終的には別個の作品としてその自律性を主張している。コンパニオン ピースにつけられたタイトルは、概念的で指示を定義するものであり、そして大型絵画には、外国語を用いるなど詩的で我々に何らかの思いを喚起させるようなものが選ばれている。しかし中里はカラーフィールド ペインティングに取り組む抽象画家としての彼のルーツに忠実に、タイトルというものは明らかに絵画的でない隠喩は避け、帽子の中からくじを引くようにアトランダムに選ばれるべきだと信じている。中里は、イラン コントラ公聴会を聞きながら作品を制作していた際に浮かんだ、”漠然とした何か” からタイトルを引き出した。このような次第でこのシリーズのタイトルはニカラグア問題に由来している。実際中里は、コンパニオン ピースで掲げているルールを本体の作品に持ち込んではいるが、形態上のこだわりを超えた、暗示的意味を観客が想像するようしつこく求めているのかもしれない。彼が選んだタイトルにもそれがうかがわれるのだが、例えばAzul Olancho<青い Olancho>(1987)の中で右手の本体の4分の3を占めている青緑色の広がりは海を連想させるし、あるいはまたLa Onda de Amapala<Amapalaの波>(1987)にみられる叙情的にばらまかれた弧は波を暗示しているのかもしれない。
時宜に適った政治問題に敏感に言及しているそれらの作品に政治上のイデオロギーを見出すことは、不可能ではないにしても、非常に困難である。中里は、政治に無関心な作家ではないが、芸術の形式性のみならず、現在では概念的な可能性にも興味を持っているにちがいない。実践主義の全盛時代であった1960年代に、彼は珍しいメディアを用いて色調を抑えた作品を制作していた。例えば、カンバスの上をインクの中に浸しておいた糸を引っぱり、その反発力を用いて痕跡を残した作品だが、それらはダダから始まって抽象表現主義を駆けぬけたモダニスト達の、特異な行為や制作方法から発展したものであった。制作工程や描かれた作品が常識に抗し、慣例に打ち勝っているものであれば、ある意味では政治に対し異議の申立てをするのと同様にそれを美学的にやってのけていると言えるのではないだろうか。
大型の色面絵画作品のタイトルが、詩的であるいは心象的、暗示的意味すらもたらすと同様、方式的で数学的なコンパニオンにつけられたタイトルは、概念的かつ図表的なものであるが、感覚に由来し、様々な想像を引き出すものでもある。作品 One, Two, Three(1987)では、3個の基本的な幾何学的形態、四角形、円、三角形と、そして整列して並べられた文字のみが登場する。この作品もまた、外見はレオナルドの著名なドローイング、「円形内の人体 プロポーション図解」を暗にほのめかしているようだ。Four and A Half(1987)は、乾いた響きの単位一個一個で構成されており、これ自身と対をなしているディプティックAzul Olanchoの両者が従い、あるいは変化させている方式を図式化している。同時に、日本のお茶会に使用する畳の伝統的な敷き方に由来する配置には、瞑想に引き込まれそうな何ものかが内包されている。
A Thing, Refinement, or Three Boxes(1987)というタイトルは、神秘的で、発展の可能性のある観念を語っている。正方形で明るい灰色のカンバスに、黄色い縁取りの正方形とタイトルが記された作品を前にしたとき、我々は真っ先にそのタイトルと形から、漢字を思いおこし、またそれがもつ多義性と、無数の暗示的意味に想像を掻き立てられる。3個の箱(この絵画では3個の正方形として平面図形で現わされている)は、この特殊な集合体、つまり、コンパニオン ピースと、その本体でありEl Fondo de Barraと称されるディプティックの計3個のカンバスを象徴する図でもある。加えて、本展では、その作品は、1つの部屋の中に、さらにこの部屋は美術館の中に位置するわけだが、この事実それ自体も入れ子式に内包されていく3個の箱を暗示している。言語的かつ視覚的な漢字が意味する通り、ものを表すのに相応しい名称 “Thingness”(品)もまた、度々それ自身の “ものという性質” を強調している中里の作品と適合している。同様に、”精錬” も漢字の性質と中里のアートの両方に適切に当てはまる。後者は、細部にまで心が配られ、繊細で、また、しばしば色彩と形態の組み合わせに、あるいは慎重に加重していく格別な混合にしばし目を奪われる。さらに、色面、絶妙な色の境界、繊細で器用な幾何学的輪郭が、対照的に引き立たされている。
カラー フィールド ペインターとして名をなした作家が何故、概念主義へ傾倒してきたかという疑問は当然生じる。概念主義は、視覚的でない観念に精神を集中させるべく伝統的な視覚的対象物をその媒体として利用している。その顕著な例が言語だ。一方、色、場、といった視覚上の属性を重要視し、それ以外の要素を避けるカラー フィールド ペインティングは、表面的に考えると、概念主義と両極に位置するよう見られがちだ。しかしカラー フィールド アートは他の様々な潮流が開花する中にあって、その画法に厳正さが求められてきた故に正当な評価を受けてきたことを思い出さねばならない。例えばそこでは平面性、視覚性が追求され、非関係的であり、また色面はローラーなどを用いてむらなく塗られ、そして事前の予測が求められている。例えば論理に強く支配されている先入観を強調する芸術は、その出発点や方向は別としても、作品の論理や先入観が、それら自身の上に成り立ちそしてもはや視覚的媒体を求めなくなってしまった概念主義とはそれほど隔りのあるものではない。
中里が既に認められている版画作家でもあるといこと、そしてそれ故グラフィック メディア特有の連続性が彼の連作や最近作の集合体等の絵画に大きく影響していることも、述べておかなければならない。金属板、石、あるいはブロックの上に描かれたはっきりとした図案は、版を刷る際の規則や単位のようなものである。しかし、本展でも展示されるリトグラフのシリーズPantoneでも見られるように、中里は金属板をこの場合は、システマティックに350枚のヴァリエーションに刷るために5枚の金属板の組み合わせを使う。Piero Dorazioの影響を受けていた彼の初期のカラー フィールド作品のいくつか、例えばPenn Series(1966)のような作品でさえ、その驚くべき多様性を生み出すマルティプルなアレンジメントや単位の選択に対する強い好みが明示されている。
カラー フィールド ペインターとしての経歴、版画家としての専門的知識や技術、そしてさらに工業会社の通訳のような過去の仕事などは、論理や構成の力強さと美しさに気付かせてくれたが、それらは全て彼の最近の作品に凝縮されている。あくまでも美学的に、しかし視覚的要素のみでなく彼の仕事に刺激を与える概念的なものに重点を置いて取り組んでいる。しかし同時に彼は、概念への極端な依存は不毛を生み出しかねないことをよく認識しているので、不合理、チャンス、非論理性、画面に対する挑戦といったものが思いもよらない新たな展開をもたらしてくれることを期待しているのだ。その結果として頭脳的かつ魅惑的な両者を併せ持った作品が制作されるに至ったのである。
ジェラルド・シルク 美術評論家
色面・観念の受肉
カラー フィールド ペインティングの意味については、フォーマリスティックな文脈でのみ語られすぎてきたように思う。バーネトット ニューマンの“ジップ”の絵画の巨大な色面に対して、それはもはやイーゼル絵画ではなく“場(フィールド)”と呼ばれるべきだと述べたいのは、他ならぬクレメント グリーンバーグである。いわゆる、幾何学的抽象から色彩それ自体として立ちあらわれる空間を区別する意味でなら、それは正しい。しかしこのことをリテラルにのみ解釈するなら、絵画の問題の一切は形式的な条件へと還元されてしまうことになる。戦後アメリカのフォーマリズムは、ある緊張した状況下(それは周知のように50年代の抽象表現主義のジェスチャー ペインティングとカラー フィールド ペインティングの相克の中に胚胎した)におけるイデオロギーなのであって、その契機の必然性が失われた局面では、まさしく無内容な絵画をもたらしてしまう危険性があるように思う。
60年代の前半に渡米した中里斉を迎えたのは、全盛期のカラー フィールド ペインティングであり、またシステミック ペインティングへの強い流れであった。自立する巨大な色面、そして自律するシステムによる制作。この二つの思想は以後の彼の仕事を決定的に呪縛することになる。ある意味では彼の制作の軌跡は、自己の体質内での色面とシステムの肉化に向けられていたといってもよい。カラー フィールドというものの豊かな可能性を、フォーマリズムを超えていかに継承するか。
中里に一貫しているのは色面の分割による一種のグリッド システムである。だがそれを単なる抽象構成やパターンのヴァリエーションにすぎぬものと峻別しているのは、色彩そのものを主題として維持しようとする作者の強靭な姿勢であった。もちろん彼をいわゆるカラリストと見なすことはできない。楽観的な色彩の饗宴ではなく、むしろ主知的に観念としての色彩に“受肉”させることを目論むものである。色面の大きさ、そして色と色との関係は、絵面での調和としてではなく、潜在的なグリッドによって制御され、つねにある微妙な緊張をはらんでいる。しばしばそこには、縦、横の線や対角線、円孤が介存するが、それも構成的なバランスのためではなく、色面を把握するための補助線、彼自身を言葉によるならば「平面を定義づける」ために引かれた線なのである。色面はローラーを用いて文字通りフラットに、そして均質に塗られているが、エッジの部分だけはわずかに不規則な塗あとが残されている。このかすかな動勢もまたスタティックな平面を緊張させるものであった。
もちろん彼は制作を、方法のシステマティックな“運営”と見なしているわけではない。グリッドはあくまでも潜在的なものであり、自律的なパターンとして展開されているわけではない。むしろ近作では、出発点でのグリッドへの意識を、制作の進行に合わせて解体し、重ね塗りによって、「画面に起こることへリアクトする、対応する」ことが積極的に試みられるようになった。そのような姿勢は、本展へのステートメントで「カンバスの上に予期しなかったものを期待し求め、より多くのことが起り得る様に努力」したと述べられているように、最新作ではさらに強化され、しかもイメージとしての豊かさに対してより自覚的な方向に向かっているようである。とはいえ、この未見のシリーズにも、観念的なものの肉化という彼の原点は、強固に維持されているに違いない。そう、おそらくはコンパニオン ピースという新たな方法の併用によって。
こうは言えないだろうか。50年代とは異なった状況下に生きつつ、彼は形式と内容の不断の相克を引き受け、自らの画面を活性化させてきたと。もちろんその相克は重層的であり、一方ではエドワード フライのいうように、日本の伝統的な形式とモダニズムとの相克でもあっただろうし、またニューヨークという特殊な環境に住む日本人という背景をも見なければならないだろう。だがいずれにしても、それは「イメージ メーキングにこだわる」画家としての、誠実な、そしてまたきわめて正当的な態度であったことだけは確かである。
建畠 哲 美術評論家