中里斉展
1997年1月13日~31日

「……過去20年以上にわたり、彼は二つの対立する抽象、カラー・フィールド・ペインティングの純粋に網模的手順と、コンセプチュアリズムのより知的な組織的な追求、と取り組み、融合させてきた――恐らくこれを実践する非常に希少な作家の一人である。

これが60年代後半からの中里のプロジェクトである。(それゆえに彼がこの技に秀でているのも驚くことではない。) 彼はストライプ、グリッド、箱、バーの語彙を進化させ、制作に組み込まれる全ての方向性、筆跡、線、色層に、見る者の注意を促す。最近作にあって中里が、彼の意図と目的を精錬するにしたがい、この知性は特に鋭く優雅である。……

中里はいたずら好きで、茶目で、愉快で、軽決で、機敏で、優しい。優美な洗練による奔放な精神を持っている。このシリーズは真にラプソディーである。幾何学、形状、色彩、線、形態、「地」と「図」、グリッド、可能性、そして更なる可能性への視覚的、知的ラプソディーである。このシリーズは2元性が一体化するラプソディー、無秩序(カオス)と統合、半透明性、浸透性、炭色とくすんだ色、ニューヨーク絵画、キモノ、思考性と装飾性、雲と形の影、空気と大地、そして絵画のエクスタシーに対するラプソディーである。」

ジェリー・ソルツ、美術評論家

「人為的な形、丸、三角、四角はモダニズムの明白なクリシェ(常套)だと云う理由で作品のモチーフを選び、この数年制作を続けています。このモチーフがいたるところに繰り返される頻度は失笑のかぎりです。しかし、この明白さ由に、制作の目的を満たしてくれます。この様なものをあえて選ぶと云う態度は私の制作にあって長く持続されています。線の作品、線と線の間を平坦に塗った以前の作品、近年の上記の形をカンバス上に配列する作品などです。……

このプライマリーの形を使う動機は大阪の倉貫ギャラリーの個展準備中に起こったことですが、当時倉貫は仙厓(1750-1838)の作品コレクションで名高い出光美術館のビルの一階にありました。仙厓は円、三角、四角を平行に並べた作品で知られています。制作年は知らないのですが、ヨーロッパのモダニズム出現を先んじること約百年です。……

この疑問と感動から同じモチーフを使う事を決めて、このシリーズを ”LINE OUT-SIDE” と題名しました。センガイを線外と置き換えた由です。この題名に託された意図は通常受け入れられている規範と思われる物事の外側にこそ可能性の富があるであろう、それを確認すべく自分の頭に方向性を付け、‘今’の持つ限界の外側に導く線を引こうと云うことなのです。」

中里 斉

感性に富んだ知性  –  中里斉の近作

中里斉の作品は生き生きとした新しい生命を吹き掛け絵画を感化力のある表現法へと蘇生させる再興論者の芸術である。中里は、一連の記号として、形態の語彙として、物理的過程の方式(システム)としての抽象絵画の持つ伝達力に関して強い信念を持つ信者である。彼は、これらを新たに解読し易く、生気のある、多弁なものにする。それゆえに、作品は再生された活力を持って語りかける。中里は抽象にかかわる古い観念を転換し、見る者に新しい何かの始まり(兆し)を目撃しているように感じさせる。あたかも形が創生され、観念が孵化し、またはうねうねと揺れ動くものが実を結ばせるのに立ち合っているような実感を与える。中里は古いものから新しいものへの旅にさそう。彼は一種の美的転化のように――ほとんど贖罪的に――作品を理解し、古い観念を逆転させるために常にものを動かしている。特に混種語を作るのに熟達している。

これは驚くに及ばない。日本生まれの芸術家でアメリカに30年以上住む中里自身が文化的混種だからである。(東京で教育を受け、ウィスコンシン大学で修士を得、ペンシルバニア大学でピエロ・ドラツィオやニール・ウェリバーに学び、60年代中頃から国際的に作品を発表している)。彼は美術界を、内側と外側の両方から見ることができるという特異な利点をもっている。過去20年以上にわたり、彼は二つの対立する抽象、カラー・フィールド・ペインティングの純粋に網模的手順と、コンセプチュアリズムのより知的な組織的な追求、と取り組み、融合させてきた――恐らくこれを実践する非常に希少な作家の一人である。言い換えれば、ケネス・ノ—ランド、ラリー・ゾックス、初期のフランク・ステラに見られる考え方とドロシア・ロックバーン、メール・ボックナー、ロバート・マンゴールドのそれを結び付けてきたのである。

中里の美しく彩色され、非のうちどころなく構成された絵画の目的は、ある種の感覚的な知性、あるいは見ることと考えることのエロティズムであり、そしてまた、作品自身が弁明し続ける自明の美のようなものであろう。すなわち、作品自体が、空間としての絵画、場(平面)としての絵画、構成としての絵画、等と続く絵画の最も基本的な原則(仕組み)を弁明することでもある。これらから中里の作品のなかにある奇妙な距離も説明できるだろう。まず彼の作品は非常に利口で、彼の思考過程をまざまざと見ることができる。制作過程の痕跡が一切隠されていないからだが。如何に作品が制作されたか、どの色が初めに塗られ、次に何がどれに塗られたかをそのまま見ることができる。しかし、これはまた、見る者が中里をごく、ごく身近に感じると云う異常な親密さを生むものでもある。この不可解な感情的距離――または親近感――が、中里の感情を撹拌し、動揺を与える芸術の全てを伝えている。個々の筆跡、瞬時性、こみあげ、各々の筆の進向性が間近に感じられ‘説明される’。中里の作品には何も隠されていないが、何もかも全てが明かされているわけでもない。

これが60年代後半からの中里のプロジェクトである。(それゆえに彼がこの技に秀でているのも驚くことではない。) 彼はストライプ、グリッド、箱、バーの語彙を進化させ、制作に組み込まれる全ての方向性、筆跡、線、色層に、見る者の注意を促す。最近作にあって中里が、彼の意図と目的を精錬するにしたがい、この知性は特に鋭く優雅である。

新作では、次のような形態の言語がレイアウトされる。すなわち三角、四角、半円、円、くさび形、しみ状が変形された空間のにじみ、粗いエッジ、筆跡でうめられた平面、にじんだ線、軽妙なまだら、に対してバランスされている。色層はフィルム状で薄いか、又は無定形で霞のようであり、気体的で織細である。また同時にこの豊かな色面は孤立的で、長い黙想のようであり、持続的で、さざ波の様な‘量’である。空間は平坦で、時には屈折している。そのゆがみは微細である。全てが露出され、目に見えるもののほとんどがそこに存在している。確信を持って熟練の手で作られたこれらの作品はある種の内的平均術(中里の曲型)である。すなわち、緊急的で思慮深く、無計画的で意図的、装飾的だがストレート(ありのまま)であり、繊細で頑丈、非規則的で規則的である。色にさえも不思議な二重性を感じられる。薄黒いくすんだ炭色を上に置き、開放的なサーモン・ピンクをつつみ、美しいオレンジ色はスレート・グレー(青みがかった濃い灰色)とたわむれる。この他、はねかけられた青がベルベットのような赤橙の平面にはち切れ浮かぶ。

年を経て、中里は隠れた色の達人、色の雄弁家、色のラフ・エッジの玄人になった。彼は色数を制限し、誇大、誇示はなく、表現主義のエゴもないが、魅惑的な色彩の官能的で、時には静的凶暴感を発散させる。人を感動させる必要性に惑わされない(彼の色は派手やかだが着飾らず、虚飾なく眩惑的である)。中里の作品に見るような色は他には見ない。私の思いつく限り、布の色彩と触感が最も近いものであろう。これらの色を知りつくし、今、それは雲状の瑞々しい肌のように、人工的だが、生きているもののように機能している。単純だが美しいものを見ようとする強い必要性にかきたてられ、祖原的だが最終的には理由づけられている。これらの色は希薄で、空想的だが、日常的なゆえにそのすばらしさは見逃されがちである。

このシリーズの絵は優れた中間的スケールを持っている。高さ約2mである。しかし、形の今とその時、此所と其処の混濁と共に静隠な思考の渾然があるので、作品はすこぶる人間的なスケールとなり、それとかかわることができる。この中間的スケールも、中里が橋を架けようとするいくつかのスタイルの一端を思い起こさせる。彼はカラーフィールドの大きなスケールを身を持って知っているが、ポストミニマリストの把握可能な、究明可能な、既知のスケールを考えている。このことは重要である。なぜなら、スケールは、彼の色使いと同様に、巨大な未知のスペースと時間を黙示させるとともに、作品を地に足の着いた、知り得る範囲のものにさせるからである。

これらの作品が「キモノ」の様に感じられるのは彼が日本生まれだからだろうか。又は先天的なものなのだろうか。 絵の中に身が包まれ、そうすることで安心感が得られるようだ。避難所のような、身を守られている、性的な魅力さえ感じる。そして、軽薄にならずに華麗である。各々の作品はそれ自体の鍵をもっているようだが、同様に各作品に他の作品の鍵を開ける何かがある。見る者は作品が一つの声だけでなく、デュエットのようなもう一つの声(考え)や再考(ためらい)を感じさせられる。これらの作品には自分を表に出さない(自己削除的)資質があるが、そんなことを考えたり注意を払わずにいる時、ペインター、中里がそこにいて、目の前に対峙し、真正面から対決してくるようである。それが彼の全ての強さと力を感じる時である。彼の技術は無視できない。それに焦点を合わせると、少し威圧感を覚える。しかし、個々の作品ならびにシリーズは、神秘的な謙虚さと無言の活力で彩られている。そこには絶対的なパターンはないし、シンメトリー(対称性)もない。それでも、そこにはロジックがある。ある極限にまでオーガナイズされたものに触れたように感じられるが、それでも全てがカオスであり、独断的である。それでも全部を合わせて無秩序で独断的なものに感じさせる。

一方、より離れた関連付けとして近代主義それ自身がある。中里のエッジは前後にゆれ動くエネルギーを持ち、電気を帯びたようにはじけ、生きている。そして、一つの色が他を横切り、ホットスポットやフラッシュを作り出す。そう言う場所がモンドリアンの中にあるのを思い起こさせる。しかしながらモンドリアンのエッジは、苦心の結果できわめて綿密であり、中里のそれよりも遅いが色々なことがそこに起こる。又、中里に色はモンドリアンの黒白に原色よりも複雑である。中里の空間に対する感覚――どのように彼が形と空間をカンバスの上で動かすか――はスチュアート・デイヴィスを連想させる。面白いことに、デイヴィスも彼自身のものを作り出すのに数種のスタイルの橋渡しをしていた。

幻想の精神がこれらの絵に宿り、全シリーズに静かに立ち込める野心的な情念が、見る者全ての前に広げられる。中里はいたずら好きで、茶目で、愉快で、軽決で、機敏で、優しい。優美な洗練による奔放な精神を持っている。このシリーズは真にラプソディーである。幾何学、形状、色彩、線、形態、「地」と「図」、グリッド、可能性、そして更なる可能性への視覚的、知的ラプソディーである。このシリーズは2元性が一体化するラプソディー、無秩序(カオス)と統合、半透明性、浸透性、炭色とくすんだ色、ニューヨーク絵画、キモノ、思考性と装飾性、雲と形の影、空気と大地、そして絵画のエクスタシーに対するラプソディーである。

ジェリー・ソルツ、ニューヨークに住む美術評論家、アートインアメリカとアートオークションの寄稿編集者・筆者。

 

外に在る線を思う

人為的な形、丸、三角、四角はモダニズムの明白なクリシェ(常套)だと云う理由で作品のモチーフを選び、この数年制作を続けています。このモチーフがいたるところに繰り返される頻度は失笑のかぎりです。しかし、この明白さ由に、制作の目的を満たしてくれます。この様なものをあえて選ぶと云う態度は私の制作にあって長く持続されています。線の作品、線と線の間を平坦に塗った以前の作品、近年の上記の形をカンバス上に配列する作品などです。と云うことは私の制作の意図するものは外側ないし内側から導いて来る新しいイメージの発見とか紹介にはないことです。しかしながら、ではどうしてイメージメーキングと云う自分に課した仕事を満たすことができるでしょうか。私のペィンターとしての課題は、いわゆる通常のピクチャーメィキングの規範への否定と絵を描きたいと云う欲望との間の葛藤と考えられるもののその融合又は対処をどう試みるかにあります。

このプライマリーの形を使う動機は大阪の倉貫ギャラリーの個展準備中に起こったことですが、当時倉貫は仙厓(1750-1838)の作品コレクションで名高い出光美術館のビルの一階にありました。仙厓は円、三角、四角を平行に並べた作品で知られています。制作年は知らないのですが、ヨーロッパのモダニズム出現を先んじること約百年です。当時の制作規範の中でどうしてこの様なイメージに達したのでしょうか。この疑問と感動から同じモチーフを使う事を決めて、このシリーズを ”LINE OUT-SIDE” と題名しました。センガイを線外と置き換えた由です。この題名に託された意図は通常受け入れられている規範と思われる物事の外側にこそ可能性の富があるであろう、それを確認すべく自分の頭に方向性を付け、‘今’の持つ限界の外側に導く線を引こうと云うことなのです。以前に増して今、広い範囲のモダニズムが芸術とその思考過程を左右する芸術観を規定しています。

ペィンターはなにを描くべきであり、また描くべきでないか、このなにを選ぶかと云う選択に対してなぜ選んだかと続く思考過程を当初の必要事と甘んじなければなりません。そして、その手段、なにを、なぜ、どうすすめるかがすぐその後に続きます。しかしながら、実際の制作現場ではこの過程の順序はたやすく入れ替わり、流動的な状態に変わってしまいます。今回の制作では大きな平面に選んだ色を塗ること自体に喜びを感じ、形を描かずに形の周囲を塗ることによって形が浮かび出し、カンバス上にイメージの出現が始まりました。

以前からやってはならないと自制していた拘束を取り除き、今回筆を使った遊びに刺激されました。この文を書きながら今思うことは仙厓が一つの円を書き「これくうて、茶のめ」とを入れた心境にたどり得た時は全ての束縛から解放され全てが昇華された領域に達したことであろうと云うことです。

中里斉
1997 年 1 月 ニューヨーク