中里斉 ― Makahara Series
1992年7月24日~8月8日

「….. [中里の作品は]プロポーションに対するクラシックな配慮、ダダのようなチャンスに対する喜び、用語に対するコンセプショナリスト的な洗練された感覚、美術の本質的領域に対するフォーマリストの感動、そして前述の全てに加えて、色彩の感覚的本質に対する非常に発達した感性などによって満たされている。」

サンドラ・エリクソン 美術史

「あいまいさは創造のもと」

中里斉が抽象の伝統の中で制作すると選んだとき、彼はまた、今では古い論説となっている美学と政治――それらは切り離せないものだが――の中にも入ったのだった。中里が創る作品、言語的内容より形態に専念された作品、また抽象本体に具体的事実を変形さす傾向を示す作品の中にある、あるものを他の要素より優先させる考え方が、フォーマリズムであった。この論点での中里の立場をより理解するには、フォーマリズムに対する主要な論説に常にあげられるいくつかの問題点と議論に注目することが必要である。

フォーマリストの絵画と評論の最初の画派はあのダイナミックな時代1910-25年を通じてロシアに出現した。イタリア的遠近法、解剖学的、アカデミー好みの規範に飽き、また当時の文芸上のフォーマリストに鼓吹された数人の芸術家、評論家が芸術作品の本質的な領域に真剣な注意を向け始めた。そのアイディアは作家自身から芸術作品を切り離して独立した策意の合成体として考察することで、新しい革命的な四角美学を創りだす試験的努力をすることであった。

1923年以後のロシア・アヴァンギャルドの非運について我々が知る観点にあって、フォーマリストの芸術と評論はその新しい美学が革命運動に共鳴的とみなされたソビエト政権の初期にその頂点に達したことは皮肉である。ソビエト歴史家から間もなく現れる全般的告発の主な攻撃点はフォーマリストを非社会的、非政治的とし、集団的意識の達成に必要なイデオロギー的手段を欠いていると理解したことにある。この観点に協賛するマルクス主義評論家はL.S.ポポバやA.M.ロドチェンコのような人物に、彼らは1921年には工業デザインに転身し、「自己充足的絵画は流行遅れ、単に画家であることは無益だ」と言明している(注1)が、繰り返し非難を浴びせている。K.マロビッチの神秘主義への転向は、ある人々にはフォーマリズムの行き止まりを暗示する証拠と見えた。これらの事柄が示しだす観点は芸術作品はその外からのみその意味を獲得し、如何に考慮されても異なるものは意味を持ち得ないということである。

50、60年代クレメント・グリンバーグの論証によりニューヨークにフォーマリズムが再度浮上した時、抽象はすでに承認された芸術様式だった。実に、グリンバーグ自身は、片や純抽象支持に自己の表現の必要性を最終的には除外する評論言語を呼び掛けながら、抽象表現主義のポピュラーな容認を勝ち取る要因となった。彼は1860年以後、芸術家達は各自の様式の残在のためにその様式の分析に専念し、全てほかを拒否しなければならないと認識し始めたと論じる。1962年には、グリンバーグはかなりの自信を持って、「今日、絵画芸術の削減し得ない要素は二つの構成的約束、規範すなわち平面性と平面性の限定、から成り立つ、そして単にこれら二つの規範の考察に基づく所見が絵画として経験し得るものを作るに足る、したがって鋲で張られたカンヴァスは佳作とは言えずも、すでに絵画として存在することが確立されている」と主張した。(注2)

とはいえ、多くの若い芸術家達は先世代の抽象表現主義の感情主義とその圧倒的成功に負担を感じ、グリンバーグの網膜主義によって解放されたと感じていたが、他のポップアーティスト、コンセプショナリスト、ミニマリストはその網膜主義を拒否した。したがって1962年中里が来米し、入ったのは選択と対立の芸術状況だった。若くメジャーな才能に予期される様に、中里は自分自身の語彙とその手掛かりを探索し、数種の芸術的構えと手順を試みた。この探索の成果は――この個展にその成熟した実例を見るのだが――結果としてではなく方法論上ではエクレクティシズムである。すなわち、中里の絵画は、例えばデビッド・サーレの絵に見るような折衷的スタイルではないが、多様な手段によって達成されているということである。プロポーションに対するクラシックな配慮、ダダのようなチャンスに対する喜び、用語へのコンセプショナリスト的な洗練された感覚、美術の本質的領域に対するフォーマリストの感動、そして前述の全てに加えて、色彩の感覚的本質に対する非常に発達した感性などによって満たされている。

中里の作品を言葉で述べるのに度々使われる批評用語は主にフォーマリストのそれである。その抽象的特質に示唆され、批評家達は彼の作品を、エルズワース・ケリー、バーネット・ニューマンのような全く異なった感覚も同じカーペットの下に刷き込むことをいとわなかったグリンバーグ・フォーマリズムの所産であるカラー・フィールド・ペインティングに分類しがちだ。このようなアプローチは無効であるというのではない、確かにそれは中里の作品の優れた視覚的成果を説明し得る。しかし、さらに推し進め、ケリー、ジュールズ・オリッキーのようなカラー・フィールド・ペインティングの様式的論評の叙述が中里の作品のそれに類似しているといったらどうなるのか。それではケリー、オリッキーの作品は60年代のグリーンバーグ主義の全盛といわれる特定な時代に根ざしている事実をどう説明すべきだろう。中里の作品は変改し続け、過去を記憶しつつ、今に焦点を合わせ、将来を予期しつつ前進することをなし得ている時に。

ウムベルト・エーコは彼のエッセイ「エデンの園の言語における美的メッセージの生成」で、如何にアダムとイブが反義語ユニットを発見したかを推測している。(注3)この最初の夫婦はyes-no、食べられる-食べられない、良い-悪い、赤-青、等の語義ユニットで心地よく暮らしていた。しかしある日神がリンゴは禁断の実であるという事実を表明した。リンゴは赤で、彼らにとって赤が連鎖的に暗示することは、赤い色は食べられること、従って良いことであり、美しいことだった。何が良いことであるべきだったのかとリンゴの赤、そしてリンゴは悪だという神の主張との間のあいまいさが最終的には彼らの創造への衝動を呼び起こす。

このエーコの物語の論点は、言語の美的使用は――此処に私は絵画を加える――そのあいまいさ、再意性と、言語の美的使用によって表されたメッセージの自己中心的特質によってさらに顕著になり、そしてこのあいまいさを通じてメッセージは認知された記号の可能性との関連において創造的となる、ということでさらに彼の理論を論証している。もし、この論点を今世紀初頭に現れたロシア・フォーマリストにあてはめると、政治的圧力はさておき、如何にしてその理想が短命であったかが明らかになる。ロシア・フォーマリストの努力はアダムとイブの状況と部分的に比較できる。アダムとイブと同様に、フォーマリストは我々がいう非常に限られた一連の語義ユニットによって制約されていた。しかし、その二つのシステムに持ち込まれたあいまいさの起因は全く異なった二つの出所からであることを知る必要がある。アダムとイブのエデンの園の調和は神からの実質的な審判によって外から中断されたが、フォーマリストは彼等自信の限られた形態用語を作り出しただけでなく、伝統との結びつきを断つことによって彼等自身のあいまいさを取り入れた。彼らの制作状況には全く先例がなかったし、またキュービストの抽象的試考にあっても同じであった。その記号法は、その結果制作の励ましとなるメモリーが存在しなかった、故にその可能性を持ち合わせなかった。

現代の抽象作家の立場は明らかに異なっている。抽象の伝統は承認されて長く、誰もその無効性について論争をしかけない。代わりに、現代のアーティストは、自分のアートを新たに定義する可能性を持つあいまいさを再び明らかにするという大きな問題に直面している。中里の作品の成功は、エーコのいう「内容の表現形態」のレベルでのあいまいさを確立することは不十分とみなす所から生じている。彼の美的メッセージが表現される形態は、「内容の表現形態」の変化を認知しながら、観る者が物理的実体としてのメッセージそれ自体に反応せざるを得ないよう改められている。この観念にあって表現形態と内容は中里の作品の中で常に切り離せない。

1992年7月

ペンシルヴァニア・グラドウィンにて
サンドラ・エリクソン

<脚注>

1 John E Bowlt, “Russian Formalism and the Visual Arts,” Russian Formalism, Barnes & Noble, New York, 1973, p 143.

2 Clement Greenberg, “After Abstract Expressionism,” Art International, Vol. VI, No. 8, October 25, 1962, p 30.

3 Eco Umberto, “Is there a way to generating aesthetic messages in an Edenic language?,” Struemnti critici, No. 15, June 1971.  Translated by Bruce Merry and republished in eds S. Bann & J.E. Bowlt, Russian Formalism, Barnes & Noble, New York, 1973, pp 162- 176.