中里斉 – 50 Drawings

「……このモチーフはモダニズムの常套語彙になってしまい、限りなく現代美術作品のなかにリサイクルされている。この事自体が戯れとして風刺的に通常の絵作りに全く興味が無いと云う事を表現し、このモチーフを選択した一つの目的を満たしている。と同時に制作の意向「the end」(最終的結果)ではなく「the process」(手順)、一刻一刻にわたる過程の経験、その知覚、概念への関係に焦点がある事を明示している。……

……私にとっては、手順自体が最終的には何らかのイメージの起因になる。この手順が、形の配置システム、サイズ、数、位置を変えたら、最終的結果の決定にチャンスを組み入れたら、どうなるかと云う好奇心とその探索をかりたてる。そしてイメージは与えれらた推論式によって変形・質を経験する。……」

中里 斉

線「Line Outside」へのメデティション

「50枚のドウローイング」と題されたこの個展を一つの目標に制作を続けた「Line Outside」シリーズは実際にはドウローイング100枚に達した。このシリーズの始まりは、仙涯のコレクションで知られる出光美術館の階下にあったギャラリー・クラヌキでの前回の個展からだった。この個展経験から、以後の作品シリーズを「Line Outside」(線外)と題する事と、モダニズムを100年先取りした仙涯のモチーフ、円、三角、四角を自分の作品に使うと云うインスピレーションを得た。このモチーフはモダニズムの常套語彙になってしまい、限りなく現代美術作品のなかにリサイクルされている。この事自体が戯れとして風刺的に通常の絵作りに全く興味が無いと云う事を表現し、このモチーフを選択した一つの目的を満たしている。と同時に制作の意向「the end」(最終的結果)ではなく「the process」(手順)、一刻一刻にわたる過程の経験、その知覚、概念への関係に焦点がある事を明示している。この探索の成果の一部は1997年の東京画廊、1998年のドレクセル大学の個展で発表された。

この百枚のトウローイングは二つにグループに分類され、その第一グループは、ある色の上にもう一色が塗られた作品群である。下の色面の上にはモチーフの「形」が一定数白線で描かれ、二色目が塗られた時には白線の外側だけが塗られるのでモチーフの形は最初の色でイメージとなって現れる。第二グループは複数の色が自由な筆跡で画面に塗られ、その上に砂のテクスチャーを持った「形」が上から落とされたように配列された作品群である。この二つの要素は相互に関係し、時には反発し合う。「The end」に焦点を合わせる事に興味ないと前述した。私にとっては、手順自体が最終的には何らかのイメージの起因になる。この手順が、形の配置システム、サイズ、数、位置を変えたら、最終的結果の決定にチャンスを組み入れたら、どうなるかと云う好奇心とその探索をかりたてる。そしてイメージは与えれらた推論式によって変形・質を経験する。

過去数ヶ月完成に制作の成行に没頭していた。作る者にとって究極の場・探索のシステム(体系)に巻き込まれるのを感じた。この個展と同時のハイファ美術館グループ展のステートメントに「したがって、モチーフと手順の選択は創作にあって未だ知られない地に達する乗物を提供してくれる」と記述を試みた。

下記はギャラリー・クラヌキでの前回の個展カタログから、ある一面を的確に作品論と思うサンドラ・エリックソンにエッセイ文の引用である。

この探索の結果はーーこの個展にその成熟した実例をみるのだがーー結果的ではなく、方法論上ではエクレクティシズムである。それは中里の絵画は折衷的スタイルであると云うのではなく、それは多様な手順によって達成されているということである。すなわち、プロポーションに対するクラシックな配慮、ダダ的なチャンスに対する喜び、用語へのコンセプショナリスト的な選択された感覚、美術の本格的領域に対するフォーマリストの感動、そして最後に色彩に感覚的本質に対する非常に発達した感性などにとって満たされている。… 中里の作品は変改し続け、過去を記憶しつつ、今に焦点を合わせ、将来を予期しつつ前進することをなし得ている。

 

中里 斉
1998年9月、ニューヨーク